無宗教派が支配する社会

国家神道に対する反動からか「無宗教」であることがよしとされ普通とされた戦後の日本社会において、神社での祈祷は「信仰」とは違うものとされ、正月にはみな神社にお参りするまた、葬儀や法事には僧侶に読経(どきょう)してもらい念仏を唱えることが、死者に対する(とむら)いであり儀礼だとみなされた。いずれも「信仰」とは異なるものとして扱われた。

何かを「信じる」者は無知愚昧(ぐまい)のやからとされ、「宗教」にすがる者は弱者としてうとんじられる。だから、「信仰」を説き、宗教団体に勧誘する者はうさん臭いものとみなされる。長いあいだ「宗教」について考えることを禁止された人々は、何も信じられなくなっていた。神も仏もこりごり、宗教など無用の長物と考えていた。それが普通のことと考え、誰も疑おうとはしなかった。

彼女はなぜ「学会員」になったのか

1959年4月、31歳の彼女は創価学会に入会した。当時、人々はその会を「学会」と呼び、会員を「学会員」と呼んできらった。「無宗教」が普通とされる戦後の日本社会において、「信仰」を持つ人々は敬遠された。その状況はいまも続いている。

そんな風潮のなか「学会員」となることは、「宗教」を持つと同時に人々が習俗として取り込んできた既存の神仏しんぶつを否定することを意味した。1950年代後半から60年代にかけて「学会」が全国的に展開した折伏しゃくぶくという名の布教活動に人々は戸惑い反発した。その宗教運動が他の宗派と宗教を邪宗じゃしゅうとし、家々にあったかみふだを破棄したからだ。そんな手法が人々の反感を買い、世間から「病人と貧乏人の集団」としてさげすまれ排斥はいせきされた。

なぜ彼女は「学会員」になったのか。周囲の人々にうとんじられ、夫に嫌われてまでして、なぜ「学会」にこだわったのか。「学会員」になることが彼女にいかなる変化をもたらし、夫の内面にどんな変化を引き起こすのか、少年の生き方にどう影響するのか、予想などしなかったろう。三十代初めの彼女自身、必死だったろうから。「学会員」となった彼女の生涯、少年の目に映った一人の女性の生きざまを描かなければならない、と思う。

人々がスマホを身体の一部のように扱い、インターネットでつながれた現在も同じ状態が続いていると言ったら、筆者は変人扱いされるだろう。でも言わなければならない。ンヴィーニたち

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