120j 三一運動から百年

ことしは三一運動(1919年)から百年になります。韓国(当時は朝鮮)で三一運動が起きる前、東京にいた韓国人留学生が2.8独立宣言を発表します。これが起爆剤となり、三一万歳運動を経て4月11日に上海で韓国臨時政府が樹立されます。このような歴史的経緯をもつ三一運動の百周年を迎える在日コリアンには格別な思いがあると思います。

三一運動に先立つ2.8独立宣言は東京を中心に進められました。そのため、他の地域は深い関係がないと思われがちですが、大阪総領事館の所管地域にも三一運動の意味を振り返る機会と催しがありました。

2月14日、大阪総領事館と韓国散文作家協会の共催で、尹東柱および彼とその詩を日本に紹介するのに尽力した日本の詩人、茨城のり子の二人を追悼する行事を開催しました。大阪韓国文化院では、尹東柱の詩のハングル書芸展を開催しました。尹東柱は三一運動に関与していませんが、非暴力と平和共存を訴えた三一運動の精神は、尹東柱の生と詩精神に通じるものがあると思います。

例年、 三一節には大阪総領事館の所管する2府3県(大阪・京都府、滋賀・奈良・和歌山県)において民団主催の記念式典を催しています。ことしは総領事館の領事全員が各地域を分担して全地域に赴きました。韓国政府が三一運動百周年を意義深く考えていることを、体と行動で伝えたかったのです。

各地の民団も、映画 「密偵」を上映し(大阪)、講演会(京都・奈良・滋賀・和歌山)を催すなど 、例年とは違う工夫をこらしました。私は大阪民団の式典に出席し、以下のことに注目しました。従来とは異なり、表彰台を壇上に置かず参加者と同じレベルに設けていました。三一運動に限らず、脱権威主義、国民と協働するムン・ジェイン政府の政策が在日の社会にも定着しつつあることを実感しました。

式典の開始前には、民団が自主製作した三一運動百周年の日韓関係史ビデオが上映されました。年月とともに歴史を忘れてしまう後続世代を教育するための自主努力だといえます。第三者の専門家が作る優れた制作物よりも、民団が自ら作る素朴な制作物のほうが貴重だと思いました。

日韓の政治的対立を心配するコリアンの声も多数聞きました。ことしの大統領スピーチでも、彼らは日韓関係に特に鋭く反応していました。最近の対立ムードのなかでスピーチがないことも心配されましたが、フタをあけてみると、今回のスピーチに日本批判はなく、未来志向の協力を強調する内容がほとんどでした。彼らの表情と言葉に安堵(あんど)し歓迎するムードを感じました。特に「過去の歴史は変えられないが、未来の歴史は変えることができる」という一節がコリアンの胸に響いたようです。

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