the Life of Min Kabwan [draft01a]

自伝の出版に思う[仮訳01a]

ハンに満ちた私の生涯をいつか記録にしようと思いつつ、七十歳を目の前にしてようやく筆をったものの、取るに足りない愚痴ぐちにしかならないように思われます。皇太子妃候補に選ばれた名門家の令嬢が生涯をかなしみのなかに送ったことなど、現代では恥ずべき運命でしかないでしょう。たみとして国を愛し、子孫として家門を重んじ、「東方儀礼の国」の模範ともいうべき貞節ていせつを守った人生など、いまさら誇ることではないと思われるのです。

それでもこの記録を書こうと思ったのは、昨今自分を見失って命をないがしろにする人が多いからです。大我たいがのための小我しょうがではなく小我のための大我の犠牲が多いことに胸が痛んでなりません。ささいな誤解や熱病のような恋愛が命を奪うこともあります。流行病のように命をつ人もいれば、小さな苦しみに耐えられずに奈落ならくふちをさまよう世間知らずの花もあります。悲哀に満ちたこの人生記録を読み、屈強くっきょうに生きるための再生のに気づいてくれたらと思うのですが、そんな意図いとが伝わる保証などありません。

人生は悲しみと喜びのつなわたり。すべて運命だったと自らなぐさめるのですが、本当は果敢かかんに運命に立ち向かい切りひらくべきだったとも思います。尼僧にそうやカトリックの神父、修道女しゅうどうにょ、芸術家や作家、科学者や社会事業家など、世間には独身を貫く人も少なくありません。愛ゆえの独身者も多く、これらのどれにも当てはまらない私は奇形きけいな独身者ともいえます。

王妃になるという一見恵まれた「人の契約」がもたらした五十年のむなしい孤独な人生はいばらの道そのものでした。身体や精神的な障害、愛や信仰を守るために独身を貫いたのなら、生きがいを感じたかもしれません。ちりぢりに引き裂かれた一生、悲しさと寂しさになみだも枯れた半生を振り返ると、しいばかりで自分が不憫ふびんでなりません。歳月さいげつは流れ、いつしか髪に白髪しらがが混ざるようになった私の最終章も遠くはなくなりました。青春を無為むいに過ごし人生の夕ぐれに差しかかったいま、ありとあらゆるハンが胸をふさぎ、この記録の糸口いとぐちさえざそうとします。こんな私も生きてきたというのに、最近の若い人はなぜとうとい命をむだに捨てるのでしょう。この取るに足りない人生記録がこれから成長する若い人々のかてとなり、生きがいを見いだすきっかけになるならば、これ以上の喜びはありません。

最後に、この記録を書く私をあと押ししてくれた多くの人々に深く感謝したいと思います。とりわけ、多忙な仕事に悩まされながらも毎夜この記録を丁寧ていねいにまとめてくれた詩人でエッセイストのビョンスン(カブァンの姪丙順)に心から感謝し、彼女をほこりに思います。

1962年10月 金井クムジョン山のふもとにて 

ミン・カブァン

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