積み立てて 宇宙旅行は 夢の夢 八木 柳雀
昭和三十八年(1963)のこの日、旧ソ連のテレシコワ少佐は、ウォストーク6号に乗り込み宇宙飛行に成功した。
彼女の乗機のコールサインがチャイカ( =カモメ )であったことから、交信で重なった「 ヤーチャイカ ( 此方はカモメ )」が、詩的に解釈されたのではといわれる。
他にも、宇宙飛行士の言葉が残っている。
ユーリー・ガガーリン氏の「 地球は青かった 」という言葉も、帰還後に語った「 地球は青みがかっており、宇宙は暗かった、そこ(宇宙)のどこにも神はいなかった」の一節が切り取られたもの。
当初は、「 バイエハリ!( さぁ、行こう!) 」という打ち上げの際の言葉のほうが知られていた。
そして、我々の記憶に残っているのが、昭和四十四年(1969)七月二十日、人類初の月面着陸を行なった、アームストロング氏の「 一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である 」であろう…
兎も角、宇宙開発競争は、国ごとに方向性が異なるが、最終的には、“人類平和”にベクトルが収束していくことを願う。
昭和三十八年(1963)のこの日、旧ソ連のテレシコワ少佐は、ウォストーク6号に乗り込み宇宙飛行に成功した。
彼女の乗機のコールサインがチャイカ( =カモメ )であったことから、交信で重なった「 ヤーチャイカ ( 此方はカモメ )」が、詩的に解釈されたのではといわれる。
他にも、宇宙飛行士の言葉が残っている。
ユーリー・ガガーリン氏の「 地球は青かった 」という言葉も、帰還後に語った「 地球は青みがかっており、宇宙は暗かった、そこ(宇宙)のどこにも神はいなかった」の一節が切り取られたもの。
当初は、「 バイエハリ!( さぁ、行こう!) 」という打ち上げの際の言葉のほうが知られていた。
そして、我々の記憶に残っているのが、昭和四十四年(1969)七月二十日、人類初の月面着陸を行なった、アームストロング氏の「 一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である 」であろう…
兎も角、宇宙開発競争は、国ごとに方向性が異なるが、最終的には、“人類平和”にベクトルが収束していくことを願う。