電車という名の動く寺院 mobile temples (a short story)

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関連作: 老人たちよ異界でタンゴを舞うな

鉄道会社の駅務員だった主人公はその仕事を天職と信じ、他の誰よりも献身的に駅務に尽くしました。おそらくその献身ぶりがたたったのでしょう。半年あまり過ぎたころから精神に変調をきたし、一年ほどでめてしまいます。以下の文章は、そのあいだに彼が観察した電車と駅構内などにおける人々の生態について彼が担当医と記録係に話した内容をもとにしています。

駅のホーム

大きくカーブした線路に沿ってホームが弧状こじょうに延びている。ホームの上には、白い塗料をぬりたくった鉄柱が規則正しく並び、半透明なアーチ状の屋根を支えている。何本かおきに柱の上方に取りつけられたスピーカーが、朝暗いうちから深夜まで、一定の間隔をおいて電子音のチャイムと駅員のヒステリックな声を吐き出し続ける、いかにも都会的で無機質むきしつな風景だ。

電車の最前部の車輌が、みるみる大きくなって駅に近づいてくる。

ブァアアン(電車の警笛が響きわたる)
電車が入ってまいります(録音された声が流れる)
足元の黄いろい線の内側までおさがりください(録音された声が流れる)

朝のラッシュ時間、ひっきりなしにホームに入ってくる電車が威厳いげんを示すように警笛けいてきを鳴らすたびに、駅員たちがあわただしく動き回り、苛立いらだたしげに決められた台詞せりふを叫ぶ。それにあおられるかのように、ホームを行き来する人々の動きがあわただしさを増す。

電車が入ってまいります(録音された声)
ピピーピッピー(駅員がホイッスルを吹く)
足元の黄いろい線の内側までおさがりください(録音された声)
ブァアアン(電車の警笛が響きわたる)

駆けこみ乗車はおやめください(駅員が叫ぶ)

ダンダラダーダンダラダーダンダラダラダー(発車の電子音が響く)
ドアが閉まります、無理なご乗車はおやめください(駅員が叫ぶ)
次の電車がまいります(電光掲示板の文字が表示される)
次の電車をご利用ください(駅員が叫ぶ)

電車が発車します、おさがりください(駅員が叫ぶ)
ピピーピッピー(ホイッスルが鳴る)

この物語の主人公である凭也ヒョーヤは、朝のホームが好きだった。毎朝夕こんな光景を見ていた。そのまっただなかで、改札口を通り過ぎていく相手の定まらない人々に向かって、数秒ごとにあいさつをくり返すのが彼の仕事だった。仕事の一部としてそうするのだが、彼にあいさつを返す人はいない。改札係など機械じかけの人形ぐらいにしか考えていない人々は、うつむき加減かげんに急ぎ足で彼のよこを通り過ぎるだけだ。彼が発するあいさつのことばは人々の靴音くつおとのなかにむなしく消えていく。

ドドッドドッドドードドッドドッドドー(人々の靴音が響く)
おはようございます、おはようございます(改札係が声を出す)
通勤お疲れさまです、お疲れさまです(改札係があいさつする)

改札係になって数ヵ月のあいだ、凭也は駅のホームとそこを通過する電車が作り出す光景が神聖な伽藍がらんのように見えた。朝夕の陽光を浴びてホームを動き回る人びとの姿は敬虔けいけんな信者のように映ったし、仕事とはいえ宗教儀礼のようにあいさつすることに何の疑いもいだかなかった。人々に対して、家畜に対したときのような優越感を抱くことはあったが、ホームも駅舎もすべて通過する人々の寄進きしんで建てられたものだったし、彼らがいなくなれば改札係もいらなくなると考えていた。まるで当然のことのように、通過していく人々をうやまっていたのである。

お勤めごくろうさまでした、ごくろうさまでした(改札係があいさつする)
本日もご利用いただき、ありがとうございました(改札係が頭をさげる)
ありがとうございました、ありがとうござ……

電子音と駅員たちの声がスピーカーから流れるたびに、ホームの光景に彼らの苛立ちと怒りが渦巻うずまいているように感じるようになったのは半年ほどたってからだった。それでも、自分をとりまく光景を不自然に感ずることはなかった。ごくあたりまえのことだと考えていた。一年以上ものあいだ、彼はほとんど休むこともなく働きつづけたのだから。それは敬虔といってよいほどであった。それがわざわいしたのかもしれない。いつのころからか、駅員たちの叫び声が罵声ばせいに聞こえるようになった。

おい、いったい何度いったらわかるんだ
ホームのはしを歩くんじゃない
ドアがしまるといってるんだ
おい、走るんじゃない
ほかの人に迷惑だからやめろといってるんだ
やめないか、おい、いい加減にしろ
おまえたちなんか家畜とおんなじだ
電車に引かれて死んでしまえ
死んでしまえばいいんだ

つづきは縦書き文庫でお読みください。→「電車という名の動く寺院」

写真: 韓国・京仁線の仁川駅(1899年) 경인(京仁)선 인천역, 1899년

2 thoughts on “電車という名の動く寺院 mobile temples (a short story)”

  1. 京仁線: 朝鮮で最初に開通した鉄道。首都ソウル(京城)と開港場仁川とを結び,全長約42km。1894年日清戦争勃発直後の日韓暫定合同条款にもとづいて日本が獲得した敷設権は三国干渉以後の情勢下でアメリカ人に渡り,のち再び日本のものとなった。三井,三菱,渋沢らの大資本家が設立した京仁鉄道合資会社が事業をうけつぎ,多額の国家資金の援助を得て1900年に全線開通させた。1903年には京釜鉄道株式会社に譲渡され,京釜鉄道の一支線となった。[平凡社世界大百科事典第2版より]

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