Category Archives: 大阪コリア通信

日韓の歴史をたずね関西地域の人々と対話を重ねた韓国人外交官

ohtak.comに掲載していた呉泰奎(オテギュ)さんのブログをoguris.blogに移行しました。

大阪コリア通信(1) 001j-100j 2018.5.9-18.12.4
大阪コリア通信(2) 101j-220j 2018.12.7-20.8.26
오사카 통신(1) 001-100 2018.5.9-18.12.3
오사카 통신(2) 101-200 2018.12.7-20.3.10
오사카 통신(3) 201-277 2020.3.16-21.5.27

6月下旬までは従来のサイトohtak.comでも見ることができます。韓国語と日本語のページは以下のとおりです。

  1. 총영사 인사말: 2018.04.17
  2. 오사카 통신 01-50  18년5-7월
  3. 오사카 통신 51-100  18년7-12월
  4. 총영사 인사말: 2018.10.04
  5. 오사카 통신 101-150 18년12월-19년8월 
  6. 오사카 통신 151-200 19년8월-20년3월 
  7. 오사카 통신 001-200 
  8. 오사카 통신 201-250 20년3월-12월
  9. 오사카 통신 251-277 20년12월-21년5월
  1. 新任あいさつ 18年4月17日
  2. 大阪コリア通信 01-50  18年5-7月
  3. 大阪コリア通信 51-100  18年7-12月
  4. 着任5ヵ月後のあいさつ 18年10月4日
  5. 大阪コリア通信101-150 18年12月-
  6. 大阪コリア通信151-200 19年8月-
  7. 大阪コリア通信: 全200
  8. 大阪コリア通信 201-220 20年3月-8月

The original site ohtak.com will be closed by the end of June 2021. 

220j 総領事館と民団等の代表だけの「小さな追悼式」

8月24日、京都府舞鶴港から故国に帰ろうと数千人のコリアンが乗船した浮島丸が、75年前(1945年)のこの日、爆沈されました。

この事故でコリアン524人を含む計549人が死亡した、と日本当局は発表していますが、いまだに正確な乗船人員と事故原因は不明で究明されていません。[参考] Wikipedia 浮島丸事件

1978年、舞鶴市民の手により事故海域を眺望する舞鶴市佐波賀公園に犠牲者の追悼碑が建立されました。以来毎年、事故の起きた8月24日、ここに舞鶴市民と在日コリアンなどが集まり、追悼式を催してきました。他にない民団と総連の合同行事でもあります。韓国労総と民主労総の代表もいつのころからか参加しています。

ことしは日韓の市民が共に参加する追悼式の開催は困難というニュースが少し前から伝わってきました。コロナ禍の影響で多人数が集まる行事の開催はむずかしいという状況のためです。[参考] 朝日新聞記事 2020.08.25

このニュースを聞いて、私は例年どおり行うべきだと考えました。追悼式を主催する日本の市民団体がその方針であれば、総領事館と民団などコリアン代表だけでも参加する「小さな追悼式」はどうだろうか、と提案したのです。京都民団もこれを受け入れ、この日午後1時から民団と総領事館職員の計10人だけが参加する追悼式を催しました。

猛暑のためわずか20分で追悼式を完了しました。大阪から追悼式会場まで片道150km、往復3時間の距離を考えると虚しい感も否めませんが、こうした形でも行ってよかったと思います。

何より、どんな困難があっても、日本の植民地政策により無念にも亡くなったコリアンを韓国政府が忘れていないことを示したかったのです。 「解放された祖国と家族のもとに帰れなかったコリアンをいつまでも記憶しなければならない」 「大韓民国は決して一人の国民も見捨てはしない」 。追悼の辞において、ことしの光復節で大統領祝辞にあった一節を思い出しました。

追悼式が終わったあと、マスク姿で撮影した今回の写真は、振り返ったとき、浮島丸犠牲者の追悼式の歴史における最も印象的な場面になるだろう、とコリアン代表に伝えました。

車中の時間が長い一日でしたが、心はいつになく軽やかでした。

219j 光復節を迎える在日コリアンの思い

3.1独立運動記念日と8.15解放記念日(光復節)はいずれも韓国人にとって大事な慶祝日です。とりわけ在日コリアンには格別な日です。日本の植民地支配に抵抗して万歳独立運動を起こし、35年に及んだ日本の植民地から解放されたこの日を迎える在日コリアンの思いは察するに余りあります。

ところが、ことし初めから新型コロナ感染が広がり、日本各地の民団は3.1節の行事を取り止めました。「8月15日の光復節は大丈夫だろう」と思っていたのに、新型コロナはいまだに猛威を奮い、例年のような光復節の式典を実施できませんでした。

大阪民団は3.1節と同じく行事を無期延期し、京都・滋賀・奈良・和歌山民団は規模を縮小し、感染対策を徹底して実施しました。滋賀・奈良・和歌山は8月15日、京都は16日でした。

大阪総領事館のスタッフが分担して各地域の式典に参加し、各会場で韓国大統領の祝辞を代読しました。大阪・京都担当の私は、大阪が延期され、16日の京都の式典だけ参加しました。

京都の記念式は午後4時に始まりました。連日37度38度前後の酷暑が続いていることに配慮した時間設定で、あまり汗は出ませんでした。

京都の行事は二つの点で、例年と違いました。第一に会場を民団ホールからホテルに移動したことです。参加人数を縮小して感染対策を充実させる意図が伺えます。以前の参加者は200人程度ですが、今回は60人余りでした。第二に若年層の参加が目立ち、最後の閉会の辞も地域青年団体の京都青年会議所の理事長に委ねました。若者に役割を与えて参加動機を高めようとする配慮を感じました。青年層がいるのに民団の行事に出席しないのは、役割がないからだという指摘がかねてよりあったのです。

この日の行事は、記念式典、ディナー、公演の3部で進行しました。自治体の関係者と地方議員も参加し、在日コリアンがコロナ禍のなか整然と手際よく進行する姿に驚いたようすでした。ある日本の参加者は、「コロナ禍でほとんどの行事をキャンセルしたが、学ぶところが多い」と話していました。規模は小さいながら格調高い行事に私も自信に溢れていました。

218j ハングル学校の教師研修会と民族教育講師の研修会

大阪では最近、最高気温が36度から37度、新型コロナの感染者数が200人前後を上下しています。

新型コロナ感染防止のためマスクをしなければならないものの、し続けていると暑さのために息苦しいほどで、ふだんの生活ができない、進退きわまった状況にあります。

このような状況で、夏休み中に計画していた行事も思うように実施できません。8月11日に予定していたハングル学校の教師研修会は、関係者に新型コロナ感染者が発生し、急遽中止しました。ことしからの新規事業のため、主催者の関西地域ハングル教師協議会が熱心に準備してきたところ、たいへん残念な結果になりました。

関西地域の民族教育講師夏期研修会も変更を余儀なくされました。韓国にまつわる京都文化遺跡探訪を含め8月11-12日に予定していましたが、京都府でも新型コロナ感染者が増え、団体行動の不安が拭いきれないため一日に短縮し、12日に実施しました。

500名収容できる民団大阪ホールに30人余りが参加し、新型コロナの感染対策を徹底して開催しました。延期意見も一部にありましたが、ふだんなかなか会えない民族学級の講師たちのあいだに実施への思いが強く、感染対策を徹底して開催したのです。

幾多の逆境を乗り越え、今日まで関西地域の民族教育を継続してきた講師たちの情熱と意志を大いに感じました。研修会の祝辞のなかで、予定の日程で研修会を開催できなかったのは残念ながら、コロナ禍にあっても研修会を実施しようという情熱こそが関西地域の民族教育を維持してきた原動力なのではないか、と私は述べました。

帰宅後、参加者の一人が研修会に参加し関心を示したことに感謝する旨のメールを送ってきました。「難しい状況のなかお疲れさまでした」と返信すると、さっそく「とんでもない、とてもおもしろい研修会で参加したかいがありました」と返ってきました。

217j コロナ禍のあと初めて訪ねた生野区コリアタウン

7月30日、久しぶりに生野区コリアタウンを訪ねました。コロナ禍以来初めてです。直接訪ねて見られなかったあいだも、コリアタウンに暮らし働く人々からニュースを聞いていましたが、自分の目で見たかったのです。

梅雨の後の蒸し暑い天気にもかかわらず商店街には多くの人がいました。コロナ禍で通りが閑散としたあと、緊急事態宣言の解除で5月末から以前の姿が戻ってきたというニュースを聞き、その状況を直接目で確めることができました。

この日、コリアタウンに行く前に付近の御幸通り商店街(コリアタウン)商店会の代表者たちと会食しました。3月初めの民団支部を皮切りに、青年団体や経済団体など、地域内の団体代表者に会って意見を聞く活動をしており、その一環として会食しながら懇談したのです。

コリアタウン商店街の全長5百メートルのなかには、西と中央と東の三つの商店会があります。店舗数は西商店会38店、中央商店会42店、東商店会40店です。以前はキムチ専門店や飲食店が多かったのですが、最近は韓流ブームの影響を受け、化粧品やアクセサリーショップが増えているといいます。

三商店会の会長など代表全員が会食会に参加する予定でした。西商店会の会長が急用で欠席しましたが、一体の商店会なので、コリアタウンの近況をありありと聞くことができました。

コロナ禍の前は外部の人が多く来たせいで近在の人がいなかったが、コロナ禍の後は近隣の人が多くなり、観光客に代わって大阪周辺の日本人が通りをうめているそうです。参加者の一人は「韓国が好きな人が韓国に直接行けないので、代わりにコリアタウンで韓国を味わおうとして大勢やって来るようだ」と話していました。

最近は若者だけでなく、さまざまな年齢層が来るともいいます。コロナ禍をきっかけに人々が自宅に留まる時間が増え、<愛の不時着>などの韓国ドラマが全年齢層で人気を集めている現象と、コリアタウンに来る人の流れが類似しているようだというのです。この点、オンラインメディアを介して広がる韓国ドラマの人気は、以前とは明らかに画期される<第4の韓流ブーム>ではないかという意見も出ました。ちょうど、31日付け朝日新聞社会面に<愛の不時着>と関連した記事が大きく出ていました。

商店会の代表たちはコリアタウンの訪問客の多くが「政治は政治、個人的な好みは好み」という意識を以前よりしっかり持っているといい、神戸の南京町のように、大阪のコリアタウンが多文化共生を象徴する地域として発展してほしいと話していました。

生野区のように在日コリアンが集団として長いあいだ生活基盤を持って住んでいるところは日本のどこにもありません。互いに協力して、生野区コリアタウンを日韓友好と協力共生の発信地にしていきましょうと私は呼びかけました。この日、商店会代表たちの溌剌とした姿に接し、久しぶりに良い気運をたっぷり受けて帰ってきました。

216j 在日韓国商工会議所「小異を捨て大同につく」へ向けて

一般社団法人在日韓国商工会議所の第58回定期総会が7月29日、大阪民団の本部講堂で開催されました。例年総会を開催する東京で新型コロナ感染症の感染者数が急増し、大阪に会場を移動したとのことですが、はからずも開催当日、大阪府の感染者数が226人と最高値を更新しました。

在日コリアン商工業関係者の最も中心的な団体である在日韓国商工会議所は現在東京ほか22都道府県の地方商工会議所に会員1万人を擁します。1962年の設立以来、在日社会と韓国の経済発展に多大な貢献を果たしてきましたが、決して平坦な歴史ではなく、組織の分裂と対立の痛手を体験しています。

民団との間に繰り広げられた深い対立(民団傘下の在日商工会議所と在日商工会議所との対立)は2016年の統合一般社団法人在日韓国商工会議所にまとまることで解消されましたが、現在でも複数地域の商工会議所が統合組織に参加していないなどの対立が続いています。そんな対立の代表的な団体が大阪韓国商工会議所なのです。

残存する対立の中心地が大阪にある状況下、在日韓国商工会議所の総会が初めて大阪で開催されることになり、管轄地域の韓国総領事として主催者から祝辞の要請を受けたものの、対立の真っ只中に立つわけで、まったく困惑しなかったといえば嘘になります。

とはいえ、全国の在日コリアン商工業関係者を代表する団体が総会を開催するのに管轄地域の関連団体が気まずいからと言って総領事が参加しないわけにはいかないと判断しました。大阪韓国商工会議所は大阪民団傘下の団体なので、大阪民団のオ・ヨンホ団長が参加して歓迎の祝辞を述べました。東京からも中央民団の団長が参加して激励演説を行いました。これらの参加者が私の負担を軽減したことは間違いありません。ただ、業務を遂行する上では人々の拍手だけを意識していてはならない時もあり、今回がまさにその事例ではないかと思いました。

祝辞のなかで私は、これまで在日韓国商工会議所が在日社会と祖国韓国に貢献したことを評価しつつ、「組織上解決すべき問題が残っていることを知っているが、双方が小異を捨て大同につく大同精神に立って額を合わせ、好ましい結果を見いだすことを望む」と述べ、今次総会が在日コリアン商工業関係者の和合に向けた大きな転機になるよう期待したいと括りました。

今次総会において神奈川韓国商工会議所の趙成允(チョ・ソンユン)会長が新会長(任期2年)に選出されました。新会長の体制下、大阪韓国商工会議所も共に参加し、名実共に全国の在日韓国商工会議所の歴史が達成されることを望んでやみません。

215j 4ヵ月半遅れの三一節記念式典挙行

7月14日午後、大阪民団主催の第101回「三一節」記念式典が挙行されました。実に4ヵ月半遅れの「遅れた三一節」記念式典となりました。

ご推察のとおり、三月一日に向かって日本でもコロナ禍が深刻化したのを受け、感染防止のため、ことしの記念式典を開催しないことにしたのです。行事を強行して感染拡大を招いては一大事という判断にもとづく措置でした。

この式典中止は在日コリアンにとって耐えがたく無念なことでした。70年以上毎年続けてきた行事を開催できないことの心残りは深かったのです。他の国はともかく、かつて植民地・母国だった日本に住みながら差別と抑圧を受けてきた在日コリアンは、とりわけ三一節に対し切々とした思いを抱いているといいます。

こうして、コロナ禍がやや沈静化した機会を捉え、このような思いを振り払おうと、大阪民団は数ヵ月遅れの三一節記念式典を挙行したのです。例年のような参加者約500人の規模ではなく、各支部の幹部を中心に80人ほどに縮小しました。また、検温と手指消毒、マスク着用、ソーシャルディスタンス維持を徹底して式典を進行しました。

参加者全員が例年以上に厳粛で真摯な表情で式典に臨みました。在日コリアン社会の特殊性に鑑み、式典を開催しないままにせず、4ヵ月遅れで挙行したことを高く評価したいと思います。

例年どおり、私は韓国大統領の祝辞を代読しました。時間の経過とともにコロナ禍をめぐる状況は大きく変化しています。前例のない新型コロナ感染症の脅威に対し国際的連帯を土台に解決を図らなければならない、という一節により切実な意味を感じた次第です。

式典後、7月に百歳を迎えられた金二泰(キムイテ)民団大阪本部常任顧問への記念品贈呈式も行われ、行事に華を添えました。

고종 장례식 1919년高宗の葬儀 1919年

214j 四天王寺ワッソの中止と全世界在外公館長会議の開催

2020年7月9日、コロナ禍がもたらした二つのまったく異なることを経験しました。

一つは、1990年から30年のあいだ大阪で開催されてきたイベント「四天王寺ワッソ」が、ことし開催されなくなったというニュースです。

この日の昼、このニュースを伝えようと、大阪ワッソ文化交流協会の猪熊兼勝理事長が大阪韓国総領事館を訪れました。理事会で協議した結果、コロナ禍のために仮装行列の参加者募集がはかどらず、イベント予定日の11月1日までにコロナ禍が終息するか不明な状況に鑑み、中止を決定したということでした。

残念なことです。「四天王寺ワッソ」は、日本と東アジアとの古代からの交流を時代ごとに仮装行列で再現する祭りとして1990年にスタートしました。在日コリアンが最も多く住み、古代から日韓交流が盛んだった大阪地域に着目し、関西興銀のリードで四天王寺と谷町通りで開催されることになりました。

しかし、2001年に関西興銀が破産したため、その年には開催できませんでした。 翌2002年、同じ志の人々の手で祭りが継続されることになりました。 2003年からはNPO法人大阪ワッソ文化交流協会がイベント会場を大阪城よこの浪速宮跡に移して開催しています。当初、パレードを含め参加者の大半は在日コリアンでしたが、最近は日本人参加者の割合が七割になるほど大阪の地方祭りの一つとして定着しているとのことです。

30年の伝統を持つ祭りをコロナ禍のせいで中止するのは余りにも残念なので、猪熊理事長に対し私は、30年の歴史を振り返るシンポジウムなどのイベントに変更することも検討するように提案しました。単にコロナ禍のために中止するのでではなく、コロナ禍がもたらした裂け目を反省と発展のきっかけに転ずることも意義深いと考えたからです。

もう一つは、同日の夜9時から2時間余り実施された、康京和(カン・ギョンファ)韓国外交部長官主催の全(世界)在外公館長会議です。全世界に広がる180以上の韓国在外公館の公館長が同時にアクセスするため、必然的に会議の時間帯が日本では夜の時間になったようです。幸い、先約の会食の予定を早めることで調整できました。

世界の在外公館長を画像で同時に接続して会議するという発想は、コロナ禍がなければ思いつくこともなかったでしょう。また、問題があっても「とりあえずやってみよう」というチャレンジ精神がなければ実行できなかったことだと思います。

会議が首尾よく運営できるだろうかと思いながら参加しましたが、予想外に良かったと感じました。デスクトップ画面に200人近い参加者の顔が、切手収集帳の切手のようにべたべた貼り付けられ、顔の判別がむずかしかったものの、こうして一同に会しコミュニケーションできるとことを不思議に思いました。

多くの人が参加する会議のため発言者の数に限りがあり、対話型よりは一方通行型の会議になるほかありませんでしたが、世界共通のコロナ禍の発生のせいで、他の地域の事情や関心、問題がそれぞれ異なることを理解できる意義深い会議でした。

この会議に出席し、コロナ禍のあとはオンライン外交の比重が必然的にかなり重くなるだろうと実感しました。大阪韓国総領事館もこのような傾向に備え、行政職員の人事異動に伴い、最近オンライン担当を新設しました。

コロナ禍が私たちに投げかけた衝撃を多角度から味わう、そんな一日になりました。

213j 日本の韓流と未来志向の日韓関係をテーマにシンポジウム

6月26日、大阪リーガロイヤルホテルで「日本の中の韓流と未来志向的な日韓関係」をテーマにシンポジウムを開催しました。大阪韓国総領事館が主催する、コロナ後における新しい形態による初の行事でした。

2000年初め「冬のソナタ」を皮切りに日本の韓流ブームが起こり、2017年からは BTS (防弾少年団) と Twice に代表される第三次ブームが起きています。また、コロナ禍のなか「愛の不時着」「梨泰院クラス」など韓国ドラマが Netflix を通じて大流行していることは周知のとおりです。でも、なぜそうなったのかはあまり知られていません。

日韓関係が政治的にきわめて難局にあるなかで韓流が人気を維持している理由は何なのでしょうか。この疑問に答えるシンポジウムを総領事館主催で開催したい。そう考えて、ことし初めから計画を練っていました。準備中にコロナ禍が起きましたが、あきらめずに忍耐強く状況を見きわめ、ようやく実施に至ったのです。

コロナ禍が完全に収束していないため、安全確保に特に留意しました。ホテルと協力し、数百人収容できる会場に参加者60人余りの席をアレンジしました。移動制限が解除されず、ソウルから来られなかった第一発表者、韓国コンテンツ振興院の前副院長、金泳德(キム・ヨンドク)氏はウェブに接続して発表し討論することになりました。いかにもコロナ時代の新方式らしい行事です。

参加者を限定しウェブを取り入れた新方式のシンポジウム会場は熱い熱気に包まれました。金泳德氏は、日本以外の世界で韓流がどの程度流行しているか、生産・流通・受容の面から詳細に解説しました。特に韓流の初期に韓国政府がソフトパワーを強化するために文化産業育成に尽力した背景とその成果をわかりやすく数字で表に示しました。

第二発表者、北海道大学大学院メディアツーリズム研究センター長の金成玟(キム・ソンミン)教授は「日本のなかの韓流- 歴史と特徴そして課題」と題した発表でフロア参加者の高い関心を集めました。日韓関係や政治関係の枠組みで韓流を見る従来の解釈をひっくり返す内容が注目されたのです。

金成玟教授は、第二次と第三次韓流のはざま、日韓断絶が始まった2012年に注目し、この年に日本で韓流が消えたわけではなく、新たな転換を行うための年だったとしました。第一次と第二次の東方神起・KARA・少女時代が活躍した2011年までは日韓のローカルな視点で韓流が捉えられ、大衆メディアを中心に韓流が消費された時期であり、2012年以後はグローバルな視野で日本の韓流ファンが自らのチャネルを通じて韓流を楽しみ始めた時期だとしました。

李明博(イ・ミョンバク)前大統領の竹島(独島)訪問など日韓の政治対立もあり、政治的な理由で韓流が消えたように見えましたが、メディアが取り上げなかったライブコンサートや Youtube などのソーシャルメディアを通じて韓流ファンが世界的な韓流トレンドに参加するようになったというのです。金成玟教授は、こうした国境を越えた流れが今後も継続するとの見通しを述べました。

大阪市立大学の伊地知紀子教授が司会進行した第二部討論会では、韓流と民族主義が主なテーマになりました。共同通信客員論説委員で元ソウル特派員の平井久志氏は、韓流が今後民族主義の強化に向かうのか、国際主義の強化に向かうのかという観点から問題提起を行いました。

金成玟教授と在日コリアン三世で吉本興業所属の芸人のカラミ氏、帝塚山学院大学の稲川右樹教授(韓国語教育)ほかが参加した討論は概ね現在の韓流が民族主義に束縛されることなく、文化を文化自体として楽しむ形で流通しており、今後もその傾向が強まるだろうとしました。

シンポジウムを傍聴しながら、政治的脈絡から文化を解釈すると間違いを犯しやすいことを思い、いかに文化の力が大きいかを今さらながら考えました。

212j 大阪・奈良・和歌山・滋賀・京都民団の支部支団長と懇談

6月16日、3月初めに始まった「長征」が3ヵ月余りで終了しました。途中、コロナ禍でしばらく行進が滞りましたが、ついに目標地点を通過したのです。

在大阪韓国総領事館が所管する2府3県(大阪・京都・滋賀・奈良・和歌山)の民団本部に所属する各支部の支団長等と、3月5日から一連の懇談会を始めました。コリアンの諸団体のなかで民団が最も大きく中心的な役割を果たしているところ、その最も重要な活動家は支団長であると考え、懇談会を企画しました。

これまでさまざまな行事に参加し、各府県の民団本部の幹部と多く接触してきましたが、団員と最も身近に活動する各支部の支団長と会話をする機会はありませんでした。この点を反省し、支団長等と連続懇談会を開催することにしたのです。

本格的な新年度事業が始まる前、4月までに連続懇談会をすべて終了する予定でスタートしたのですが、4月に入ってコロナ禍が深刻化し、予定していた日程が狂い始めました。

大阪民団の29支部を対象に3月5日から31日まで5回に分けて開催した後、コロナ禍のため日程を中断せざるを得ませんでした。5 月21日に日本の緊急事態宣言が解除された1週間後、奈良県を皮切りに懇談会を再開し、5月28日の和歌山県、6月12日の滋賀県、6月16日の京都府と、すべての行事を終了しました 。京都民団は大阪民団につぐ規模のため、二度に分けて開催するつもりでしたが、日程が予定より大幅に遅れたため、まとめて実施しました。

第一線に最も近いところで活動している支団長の苦情を聞き、励ますことを目的としましたが、コロナ禍を経たことで、この感染症で苦労しているコリアンを慰め痛みを分かち合う時間が多くなりました。一方、韓国政府がコロナ禍によく対応し、世界的に高い評価を受けている事実が自然と懇談会の定番メニューになりました。コロナ禍の困難のなかコリアンたちの母国愛がいかに熱いか確認できたように思います。

支団長をはじめ、第一線の活動家が異口同音に提起した問題は、団員の高齢化と帰化の増加に伴う団員の縮小でした。それに伴う財政悪化と活動力の低下がほぼ共通して指摘されました。

こうした困難のなか、いくつかの支部は保育や高齢者介護などの新規事業により活力を維持しています。コロナ禍のなか、マスク購入がむずかしかった時期に団員の家を訪ね歩いてマスクを配布したのが好評だったという話もよく聞きました。こうした事例に接し、活動の成否は金額の多寡ではなく、誠意と努力に左右されることを思い知らされました。

コロナ禍という伏兵が現れ困難にみまわれた懇談会でしたが、支団長等との出会いをすべて終了したいま振り返って、実施しなかったより数十倍よかったと考えています。コリアン社会に対する理解の幅が広がり、さらに深まったと思うからです。