Category Archives: 今日の歳時記

季語

今日の歳時記: コウヨウ[紅葉]

美しき 紅葉は踏まず 磴下る 吉田 登子

秋のはじめ、木々は次々にその葉を黄色くしたり、赤くしたりしながら落して行った。その紅葉を見に、都会を離れる人たちで電車もバスもこみ合う。ほこりをかぶる。酔った人たちの喧嘩を見なければならない。お花見と同じである。
しかし、木々は人間に、秋毎に奉仕をしているのでもなければ、互いにその美をきそっているのでもない。
何かというとすぐにコンクールを考え、第一の美女を選びだす奇妙な習慣を持ってしまった人間が、紅葉の名所を作って集まるのを、山の木々、谷の木々はどんな気持ちで眺めているだろう、もし心あらば。
木の葉が散るまえに、なぜあんなに美しい色をするのだろうか、と考えてみて、その意味が分からず頭を悩ましているのは人間である。
「紅葉も、落葉も、一つの厳然とした営みを行なっているために美しい…」
串田 孫一 『季節の断層』より

わが身を振り返る…

【 写真 ⇨ google・営み 】

今日の歳時記: アキフカシ[秋深し]

人生に 就職の二字 秋深し 中本 真人

社会への入り口の一つが“就職”、たとえ、雇用環境が好転していると言われても、個々人にとっては、厳しい門口であることには変わりはない。
年代によっても、採用条件は異なっている。
また、就職後に諸々のミスマッチも生じてくる…
「人生、思い通りにはいかない…」と諭されたとしても…
就職という関門を前にして、考えることがあって当然である。
「秋深し」、季節感ではなく、作者の心のありようを表しているのだろう…か。

【 写真 ⇨ google・自己紹介 】

今日の歳時記: イワシグモ[鰯雲]

鰯雲 自愛せよ 中学生 諸君 宇多 喜代子

中学生に向かって「 自愛せよ…」とは ?
聞くところによると、夏休み明けに、子供たちの自殺が多いという…
これまでの開放感が失われ、新学期に向けての不安がもたげる。
つまり、彼等に、自分を大事にしようとの呼びかけか…
空には果てしない鱗雲が…、白色で陰影ののない非常に小さな雲片が群れをなしている。
身近には大勢の仲間・人々がいる…、“結び目”を巡らして、互いに支え合いたいものだ。

【 写真 ⇨ google ・連なり 】

今日の歳時記: ハス[蓮]

一花も見ず 一望に 蓮畑 加田 由美

蓮の花は七月。
とすれば、花が咲く梅雨の頃か、散りつくした初秋の蓮田の景色…
泥中から伸びて清純の花の開く蓮は、昔から仏教を象徴する花とされる。
蓮の糸で衣をつくるという話もあり、日本でも、大和の当麻寺の曼荼羅が蓮の糸で織られたとの説話がある。
実際の蓮糸の織物も残っているらしい…
ひっとしたら、蓮の花に出会える(拝める…)と願ったが、叶わなかった気持ちが、潔い語調に、さっと詠み捨てた表現に…
「時を逸した…」。 当方には、よくあること…

【 写真 ⇨ google・頼り 】

今日の歳時記: キホウ[気泡]

万年を 氷河のうちに 鎮もれる 気泡は何の 吐息なるべし
藤岡 眞佐子

平成最後の月日も、三分の二が経過しようとしている。
ところで、自然の呼吸は悠久である。
何万年も前に氷河に閉じ込められていた泡が、時を経て、オンザロックのグラスの中で解き放たれる。
これに比べると、我々の呼吸は、酸素を追い求めて落ち着きがない。
“氷河の泡”に思いを致し、時には、呼吸を整えるもよし…

【 写真 ⇨ 我写・一時 】

今日の歳時記: 🎻 バイオリンの日

星なぞり バイオリンひく 夕端居 詠人知らず

明治十三年(1880)のこの日、東京・深川の三味線職人、松永 定次郎が国産バイオリンの第一号を完成させた。
つづいて、鈴木政吉によって始められた製作工場は、大正時代に世界最大規模となり、全世界に輸出されたらしい。
バイオリンとは「小さなビオル」の意で、十五世紀後半に生まれたが、現在のような型になったのは、イタリヤ人の
ガスパロ・ダ・サーロ(1540〜1609)の手によるもので、彼の仕事は、バイオリン製作に多くの名匠を生み出した“クレモナ派”に受け継がれ、十八世紀の前半に完成された。
現在でも、クレモナの名器に匹敵するバイオリンは出ていないといわれる。

【 写真 ⇨ google・奏でる 】

今日の歳時記: ミニシム[身に入む]

身に入むと いう唇を 読みにけり 中西 夕紀

病の重い人の唇がかすかに動く。
何が言いたいのか、どうやら「身に入る」と言っているようだ。
「身に入る」とは秋の冷気が身に染みとおること。
世の寂寥が骨身にこたえること。
病人の唇からもれる声なき声。
周りの者は、心が震える…

今日の歳時記: キョウジ[矜恃]

夏雲の矜恃こそよけれ わたなかに一つおおきく湧く力あり 小紋 潤

「 矜恃 」は自信に満ち、胸を張って立っている状態。
海上に湧き上がる積乱雲に その矜恃を見ているのだろうか…
興味深いのはその心。
雲の力を自分の力にしたいのか…、手の届かぬものとして眩しがっているのか…
本日は終戦記念日( 敗戦…? )であるが…、当時の人々の眼差しや如何に…
そして、今、我々は…

【 写真 ⇨ google・夏雲 】

今日の歳時記: ガッショウ[合掌]

盆のともしび仏眼よろこび て黒し 飯田 龍太

月遅れの“盂蘭盆”入りである。
ここ暫く、両手を合わせながら、仏さまを拝む機会が多いのだろう。
これは何だろう…、インドでは、仏さまでなくても、人間に対する普通の挨拶「ナマステ」でも、手を合わせる。
「 ナマス(namas)+テ(te)」と分解できる。
ナマスは敬礼・服従するとの意であり、テは“あなたに”の意味である。
日本の合掌の習慣も、おそらく、これとの関係があるのだろう。
すぐに、仏教の影響かとの考えもでてくるのだろうが、仏教に起源を押しつけても、答えといえないのかもしれない。
要は、仏教が何故このような拝み方を採用したかであり、東洋の基層的な文化の一つという見方もある。

【 写真 ⇨ 我写・癒し 、 資料: 生活歳時記、三宝出版 】