170j 長い日韓交流史のなか悲痛の時期を代表する耳鼻塚

11月6日、京都の耳鼻塚で第13回耳鼻塚慰霊祭が催されました。韓国の社団法人キョレオル活動国民運動本部が2007年から毎年開催している行事です。[参照: 大阪コリア通信091j]

追悼の辞のため、私は昨年に引き続いて参加しました。雲ひとつない照りつける陽ざしの強さは昨秋と変わりません。変わったのは日韓の政府関係がさらに悪化し、キョレオル活動国民運動本部の理事長がパク・ソンギ氏からパク・ジェフィ氏に変わったことぐらいでした。昨年と同じく日韓で約200人が参加しました。

韓国の団体が主催するためか、祭祀は韓国式で行われます。はじめ、式場には日韓対立の影響を受けたかのように重い空気が漂っていましたが、祭祀と献花を終えて直会(なおらい)の部になると、やわらいできました。直会酒に韓国から運ばれたマッコリ、酒肴に祭壇のナツメや干し柿、干し肉などが人々に回されるころになって、ようやく空気が変わりました。

追悼の辞で私は、1600年に及ぶ日韓の交流史には友好の時期も苦痛と悲しみの時期もあったが、友好の時期が圧倒的に長かったことを想起したい。この耳鼻塚は悲痛を代表する一断面であり、先祖がこのように病んだ時期の歴史を記憶しながらも克服してきたことを教訓として現今の対立を克服し、互いによき隣人になりたいと述べました。時期が時期だけに参加者がいつもより私の言葉に耳を傾けているように思われました。

新理事長として今回初めて参加したパク・ジェフィ理事長は、来年から慰霊祭がさらに意味あるものとなるよう内容と形式を検討したいと述べました。来年どのような変化があるか期待されます。

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