零れ話: ブッショウ[仏性]

ご先祖は、無事に、帰るべきところに戻ったのだろうか…
悟りの道に入った“仏”も元は人、そして、私たちもやがて“仏( 神 )”になるのでは…。
みな仏( 神 )の種子を宿しているとも知らず、娑婆の巷で迷っていることが多いのではないのだろうか。
難しい仏教哲学も、今様の七五の調べにのせて白拍子が歌えば、しみじみと心にしみてくる。

仏も昔は人なりき われらも終には仏なり 三身仏性具せる身と 知らざりけるこそあわれなれ 『梁塵秘抄』

【 写真 ⇨ 我写・手持仏 】

One thought on “零れ話: ブッショウ[仏性]”

  1. 母親が熱心な仏教徒、というより実践的な仏教徒だったために、僕はかなり仏教思想について学んだ、と考えている。キリスト教、イスラム教、ヒンズー教と同じく、仏教にもいろいろな流派があることを承知しているが、僕が母親のお蔭で仏教的な思想の影響を受けた、ということは間違っていないだろう。

    仏教には十界・百界という生命状態の捉え方ないし思考枠組みがある。六道と呼ばれる[地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天]界、二乗と呼ばれる[声聞・縁覚]界、そして[菩薩・仏]界で十界となり、それぞれに十界が備わって百界になるとする。この枠組みで考えれば、人はみな仏界を具有している。仏教は人と動物をキリスト教やイスラム教のようには峻別しないから、動植物ないし物にいたるまで、同じ枠組みのなかに取り込もうとする。いわば、生態系をすべて生き物として捉えるのである。

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