このところ、某医科大学の入試における選考基準が話題になっている。
要は、「女子受験者の定員制限…」
巷では、「女性の能力開発・活用…」と喧しいが、取りあげること自体が差別の存在を証左している事では…
実態は「 男性優位 」が厳然と残っているようだ。
手元の資料を開いたら、「明治十八年(1885)九月、荻野吟子が医術開業試験に合格し、女医第一号になった」とある。
彼女も、当初、「女子は受験できない」との理由で、再三、受験を拒まれた。
しかし、試験規則に女子についての明記がない事をあげて、受験を申請し、合格している。
其れから一世紀以上経っても…という事である。
今や、男女で差別する事なく、一人の人間として認め合い・支え合うことが、益々、求められているのでは…
江戸時代中期の陸奥の藩医が、いみじくも、「 “男女”と記して、“ひと”と読む…」と書き残している。
先輩の遺言を思い出して欲しい…
【 写真 ⇨ 我写・結界… 】
独立行政法人経済産業研究所の山口一男研究員の分析は明快である。
https://www.rieti.go.jp/jp/special/special_report/098.html
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自分を含めて日本に長年住んでいると、[日本教]の世界に沈潜してしまうようだ。そこに作用する無言の圧迫感がある。たとえば、1945年の敗戦に際して退位しなかった昭和天皇の道義的責任を大っぴらに批判できない。最近では、A首相をめぐる公文書偽造や明らかに嘘と思われることがあるのに、誰一人として責任をとらない。メディアは批判していると自己満足しているだけで、現状を変える契機すら作れない、いや作ろうという気がまったくない。僕を含め国民も同じである。さまざまな形で[日本教]を批判する動きを創らないといけない、と真剣に思う。
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畢竟するに、僕らは『1984年』に描かれた、ジョージオーウェル的な世界に住んでいるのではないか。スマホに耽溺し、コンビニ弁当を喰らい、コンビニコーヒーを飲む生活を支配する者がいるような気がしてならない。僕は病んでいるのかもしれない。『1984年』が執筆されたのは1940年代後半、筆者は結核療養中だったらしい。出版は49年だから、来年は出版70周年ということになる。昨今の時代状況は『1984年』に近いように思う。
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