「果報は寝て待て…」と言う諺があり、一方、「蒔かぬ種は生えぬ…」と諭される事もあり、何方か…
当方は、「果報は練って(寝て)待て…」と思っている。
要は、「棚ぼた…」はあり得ない…と。
世に、無関心…・諦めた…との人々もいらっしゃる。
もとより、“あきらめ”は明らかに、物事を見渡し、その上で、己の頭で比較検討した結果である…と理解している。
果たして、其処まで為さったうえでの、ご判断なのだろうか…
例えれば、社会に出たての頃、周囲に言われた「P・D・C・Aを回せ…」ではないのだろうか。
願いを立て(P)→ 実践し(D)→ 結果を確認して(C)→ 見直し・再挑戦する(A)…の繰り返しでは…と思う。
ある意味、大変な作業かもしれないが…
しかし、“あきらめ”たら、楽になると言うものでもない。
何方にしろ、ご本人の“意思“であり、“覚悟”なのだろう。
