鬼灯(ほおずき)の 人形づくり 孫知らず 大平 保子
今日・明日、東京の下町では、あちこちで“ほおずき市”が立つ。
由来は、源頼朝が奥州征伐の帰り、浅草で部下を休ませ、日射病( 熱中症)で倒れた兵士にホオズキを食べさせて元気づけたということらしい。
もともと、観音菩薩の縁日は毎月18日があてがわれていたが、他に「功徳日」が設けられており、特に、七月十日は最大の功徳で「四万六千日」と呼ばれている。
数字の由来は諸説あるが、米の一升が米粒46,000粒にあたり、“一升”と“一生”をかけたもので、「一生分の功徳が得られる縁日」として定着した。
人で賑わうことから、上述と結びついて、市が起こったらしい…
母方の祖父は高崎で農業にいそしんでいた。夫婦で東京に移住しようとして、上野駅に降り立ってまもなく、全財産5圓を掏りに取られてしまったという。その後、バナナの叩き売りから始め、ほおづき市にも出店していたと聞いた。高校受験のため、祖父と二人で蒸気機関車の列車に乗って岩手県の水沢まで行った。トンネルに入る直前に祖父が慌てて車窓を下げてくれたのを鮮やかに記憶している。ときどき、祖父の笑顔を思い出す。
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