水澄みて 金閣の金 さしにけり 阿波野 青畝
もと西園寺公経の別荘であったものを、足利義満が譲り受けて、北山殿と称する別荘を営んだ。
応永四年(1397)のこの日、金閣の立柱棟上式が行われた。
義満の死後、遺命により、これを禅寺とし、夢窓国師を招いて開山。 臨済宗相国寺派。
応仁の乱でほとんど焼け、江戸時代に再建されたが、昭和二十五年七月二日、寺僧の放火により焼失。 同三十年に再建。
もと通りの三層で、高さ十二・五メートル。
昔のものは最上階だけ金箔であったが、再建のものは全体に金箔をおき、屋根は檜皮ぶき、一階は寝殿造り、二階は鎌倉時代の武家造り、三階は禅宗寺院を模したものという。
ある意味で、真髄は保たれているが、時代を反映して変遷してきているようだ。