a black dog

檜原村千石バス停から大滝と綾滝沿いのハイキングコースをMTBを押しながら登っていった。

4週間前に友人が馬頭刈尾根に置いたMTBを取りに行き、そこから前回果たせなかった下りを楽しむためだった。

バス停から続く舗装された林道が途切れ、登山道に入ってすぐだった。細い渓流の反対側の斜面をすべるように下りながら、何かに向かって吠える黒狗を見た。

滝から落ちる渓流沿いの道は岩が多く段差も激しい。MTBを押していくのはつらい。

綾滝の女性的な水の流れを愛でる余裕もなく、ひたすら登っていった。途中、何人かに道を譲り、いつも遅れぎみの友人にも先に行ってもらった。

つづら岩近くの稜線に差しかかる少し手前だった。先行するハイカーが止まり、下る人に道を譲るようにみえた。そこに現れたのはヒトではなく、登山道に入ってすぐのところで見た黒狗だった。

黒狗に道を譲ろうとしたが、動こうとしない。僕が登っていくと、どうしたことだろう、彼がもと来た道をもどり、僕を先導するかたちになった。

僕が数歩進んで立ち止まると彼も止まって、僕を見ている。黒毛でおおわれた股間に濡れたピンク色のペニスをのぞかせていた。

賢そうな表情をしたラブラドールの老犬だった。よだれをたらし、やさしそうな茶色の眼でじっと僕を見つめている。

首輪にアンテナのようなワイヤーが付いており、喉のあたりで小さな光が点滅している。飼い主が近くにいて、交信しているのだろうと思った。

こうして、彼は僕を尾根道まで案内してくれ、つづら岩の下に着いていた友人と僕が話しているあいだにいなくなった。

友人のMTBを置いてあったところで昼食をとったあと、二人で大岳山から鋸山に続く稜線をめざした。

40分ほどMTBを押し歩き、急峻な岩場を半ば登ったところで、二人のペースでは明るいうちに下山できない、と判断した。

友人が岩場の手前に着くのを待って「引き返そう」と言った。彼もすぐに同意した。前回の無謀な暗夜行があり、二人とも慎重になっていたのだ。

馬頭刈尾根に沿って昼食をとった場所に引き返し、そこを通過して尾根を進み、二人それぞれのペースで、前回と同じく別々に茅倉へ下る道を進んだ。

下り始めてしばらくすると、うしろに誰かついて来るような気配を感じた。振り返ると、あの黒狗が僕に従うかのように立っているではないか。

僕が進むとついて来て、1-2mうしろで止まる。先に行くように身ぶりと複数の言語で伝えても、じっとこちらを見ているだけで動こうとしない。

正直なところ、不気味な感じがしないではなかった。乗れるところは少し無理してもMTBで走りぬけ、振り切ろうとしたが、すぐにまたピタッとついて来る。

こいつ、己を何だと思っているんだ。己はおまえの飼い主ではないぞ。なぜついて来るんだ。何かをねだろうとしているのか。水がほしいのだろうか。

何度か水をあげようとしたが、器を出すことなどを考えると面倒でやめた。そうこうするうちに、沢を渡ったので、そこで飲めばいいと思った。

MTBで走りながら、倒木をよけようとして転倒したことがあった。自転車のフレームからようやく脚を抜いて振り返ると、彼がおすわりをして僕のほうを見ていた。

こんなふうにして約1時間半、一匹の黒狗と一緒に山道を下っていくなかで、いつしか彼に親しみを抱くようになった。

山中で飼い主とはぐれ、道に迷ったに違いない。僕がどこか飼い主に似ていたのかもしれない。とにかく、僕のことを気にいったのだ。

僕も職を失ったから、道に迷ったようなものだ。迷った者どうしではないか。そんなふうに考えながら、下りつづけた。

林道に出る少し手前で、廃屋の庭に立っていた老人が急に近づいて来て、彼の名前を呼んだ。老人は無線で誰かに「ハイカーと一緒におりてきた」と話していた。

やはり、彼は山中をさ迷っていたのだ。老人は「めったにヒトになつかない犬なのに…」と言った。僕は、黒狗の喉元をさすり、別れのあいさつを交わすと、ひとりで林道に出た。

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