自伝の出版に思う(仮訳)

(ハン)に満ちた私の生涯をいつか記録にしようと思いつつ、七十歳を目前にしてようやく筆を執りましたが、取るに足りない愚痴にしかなりません。皇太子妃候補に選ばれた名家の令嬢が(かな)しみのなかに一生を過ごしたことなど、今では恥ずべき運命でしかないでしょう。国民として国を愛し、子孫として家門を重んじ、「東方儀礼の国」の模範ともいうべき貞節を守った人生など、今さら何の自慢になるでしょうか。

この文章を書こうと思ったのは、昨今自分を見失って命をないがしろにする人が多いためです。大我のための小我ではなく小我のための大我の犠牲が多いことに胸が痛んでなりません。ささいな誤解や熱病のような恋愛が命を奪うこともあるでしょう。流行病のように命を絶つ人もいれば、小さな苦しみに耐えられずに奈落の淵をさまよう世間知らずの花もあるでしょう。悲哀に満ちたこの人生記録を読み、彼らが屈強に生きていくための再生の灯の明かりに気づいてくれたらと思いますが、もとよりそんな意図が伝わる保証はありません。

人生は悲しみと喜びの綱渡り。すべて運命だったのだと自ら慰めていますが、本当は果敢に運命に立ち向かい切り(ひら)くべきだったと思います。世界には独身を貫く人も少なくありません。尼僧やカトリックの神父、修道女、芸術家や作家、科学者や社会事業家などです。愛のための独身者なども多く、これらのどれにも当てはまらない私は奇形な独身者です。

王妃になるという見た目はよい「人間契約」がもたらした五十年の虚しい孤独な人生は(いばら)の道そのものでした。身体的または精神的な障害、愛や信仰を守るために独身を貫いたのなら、生きがいを感じたかもしれません。ちぎれちぎれに引き裂かれた一生、悲しさと寂しさに(なみだ)も枯れた半生を振り返ると、(むな)しいばかりで自分が不憫(ふびん)でなりません。歳月は流れ、いつしか私の髪に白髪が混ざり、人生の終焉(しゅうえん)も遠くはなくなりました。青春を無為(むい)に過ごし、人生の黄昏(たそがれ)にたたずんでいると、ありとあらゆる(ハン)が胸をふさぎ、この記録の糸口も押し黙ったまま行き詰ってしまうようです。こんな私も生きてきたのに、最近の若者はなぜ(とうと)い命を無駄に捨てるのでしょう。この取るに足りない人生記録がこれから成長する若者に何かを与え、彼らが生きがいを感じるならば、これにまさる喜びはありません。

最後に、この文章を書く後押しをしてくれた多くの人々に感謝したいと思います。多忙な仕事に悩まされながらも、毎晩丹精にこの記録をまとめてくれた詩人でありエッセイストの姪丙順(ピョンスン)に心から感謝し、彼女を誇らしく思います。

1962年10月 金井山々麓にて 

ミン・カヴァン

2021-2030

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